25日 8月 2019
 8月3日から11日まで、福島市のNPO法人「シーエスアールスクエア」主催のベトナムへのスタディツアーに参加した。代表の宍戸仙助先生はアジア山岳地帯の学校支援の活動をしている。宍戸先生はぷらっとふぉーむ飯坂構想時期の対話会で、私たちの活動の柱は「垣根の無い交流の場」であるという事を示唆し、その後拙宅で講演会も開いてくださった。今回スタディツアーに御誘いいただき、2度と無い機会だろうと思い切って参加したのである。  さて、ツアーの主目的は都市部から遠く離れた山間の学校(ハノイからバスでおよそ5時間)で習字、折り紙、けん玉などの日本文化や、運動会を体験してもらうというものだった。ちなみに、ベトナムのこの地域では体育や音楽など情操教育に関する授業は無いらしい。またぷらっとふぉーむ飯坂として、更に奥地の分校(バイクで悪路を30分)に絵本を届けたいという思いもあった。    本に関してはそのほとんどをNPO「市民公益活動パートナー」所蔵の震災図書から寄贈していただき、字が分からなくても楽しめるように絵や写真がふんだんに使われているものを選んだ。結果、30冊の絵本を寄付する事が出来た。 ただ心残りは、けん玉の指導に熱が入ってしまったあまりに、寄付した本を使った読み聞かせなどが出来なかった事だ。ただ今頃は子どもたちが絵を見て想像でお話を作っているだろうことを願うばかりである。チャンスがあったら本やあの子どもたちのその後を確かめに行きたい。そう強く思えるような旅であった。  
18日 7月 2019
4月に任意団体を立ち上げ、3ヶ月が経つ。準備段階から多くの人の貴重な時間を頂戴した。 私事だが6月に転職し、前の仕事より生活の時間に余裕が無くなってしまった。改めて時間の大切さを身にしみて感じている。...
23日 4月 2019
 先日当会についてインタビューを受けた。その中で、こうして人が出入りすることにより家が蘇ったとお話しした。  だって、震災後随分久しぶりに訪れた家はドヨンとした空気に包まれ、家の隅にはどうしようもない影が佇んでいて正直怖かった。  それでも、月に一度の訪問時に片付けを続け、去年のリフォームですっかり生き返った。その間、地域の人のお話を聞いたり、お茶をしたりとだんだん人のつながりが出来ていった。そして今は月に一度だが、人が集まると色々な笑顔が生まれる。  やはり家と人は共生関係にあるのではないか。家が喜んでいる。それは自分自身の心も反映しているのかも。  
14日 2月 2019
当初、人力飛行機のPlatformから得たイメージだが、その後至る所でプラットフォーム事業という言葉が世の中に溢れていった。それとも既に盛んになっていたが、自分がよく知らなかっただけかも知れないけど。  そこで、そんな立派なものは想定していなかったので、少し弱めてひらがなに。話し合いの中でも、誰でも気軽に拠れる場所にしたい、ぷらっと立ち寄れる場所にしたいと、イメージと言葉が重なった。  また、「ふくしま本の森」さんの協力を得て、まちかど図書館の構想も。はばたく鳥の形と色々な思いを綴った本の形も重なった。  色々な思いの卵を抱く人々が、大きく羽ばたいて飛び立って欲しい。そのきっかけが生まれるような「場」にしたい。そんな、思いを込めたデザインになった。  
13日 2月 2019
ロゴについては最初のイメージが2016年の9月には出来ていた。実は当初は、本の形ではなく鳥もしくは飛行機のイメージだった。 飯坂で何か始めたいと思ったとき思い浮かんだのが、高専生の息子が入部した人力飛行機部だった。某テレビ局で某湖で毎年開催されるコンテスト。初めて応援に行って、一年間必死に作った飛行機を炎天下湖面10メートルの飛び立ち台(プラットフォーム)に運ぶ部員たち。飛んだ距離も大事だろうが、そこに立つだけで十分な価値がある。彼ら彼女らは、ただただ輝いていた。  さて、自分も何か動き出したい。そう思った時に浮かんだのが、あのプラットフォームだ。飯坂で夢を持つ人が飛び立つのを応援したい、思いを形にするきっかけ作りをしたい。そこから、自分に何が出来るのかを探した。
19日 1月 2019
 父の生家は福島市の天神町というところにあった。毎年盆暮れには親戚が集まって、おばあちゃんを中心にして暖かい時間を過ごした。飯坂の家には交代で泊まりに行き、夏は虫捕りや釣り、冬は温泉に入っては炬燵でみかん。ひたすらぼーっと過ごした。  高校生のとき祖母が他界し天神町の家もなくなり、親戚の笑顔が集まることも少なくなった。残った飯坂の家は父が継いだが、福島からは足が遠のいた。  2008年父が他界し2010年自分の転職、2011年あの震災、2012年兄の他界とただただ混乱のときが続いた。母に代わり飯坂の家の管理をすることになり、訪れるとあの頃とはすっかり変貌してしまった町。自分にどこまで出来るのか、不安しかなかった。  それでも町や福島市を歩くと、あの頃の思い出がそこかしこに残っていた。優しくも強かったおばあちゃんが後押ししてくれることを感じられた。  そして色々な人と出会い、話をするうちに今を一所懸命生きる人、未来に希望を描く人がたくさんいることを知り勇気をもらった。  自分に出来ることは少ないかも知れないが、出来ることは惜しまず続けて行こうと決心した。    
18日 1月 2019
 曽祖父が遺した家を引き継いで、何とか意味がある物として残していきたいと思いあがいて3年。地元の人の助けに頼ることで、何とかこの春皆さんに使ってもらえるような施設が整いつつある。  流れの始まりなのか、中流なのか。 分からなかったら、とりあえず一歩踏み出す。今まで見えなかった景色に気が付くかも。